今日は、東日本大震災から1年。
TVは、朝から震災関係の特番報道が続き、昨年の記憶が蘇る。
思い起こすと、昨年の3月11日は金曜日。浦安で午前中セミナーの講師で、新大阪行きの新幹線の中で地震発生。静岡を超えた辺りで事故もなく新幹線が停止。日本の鉄道技術の高さに感謝する次第である。
3月14日からの北米出張は取り止め。地震対応と、3月21日頃からは福島原発の放射線対応問題に追われた。その後、関東・関西の工場とも電力問題で工場の休日変更への対応。
がれきの問題もあるが、一番の問題は、結局、放射線への対応が今でも一番の課題である。
がれきの処理が進まないのも、受入れ自治体での放射線不安である。
地球温暖化問題への対応の切り札で進めて来た原子力であるが、リスクとしては匂わない・見えない・感じない・・・結局、影響は今後のガン発生率の統計的な数字でしかわからない。
良いのか悪いのか・・・と言えば、日常と変わる点は悪い影響としか言えないのである。
20年後、30年後にガンの発生率が高くなったとしても、個体としてそれが原発由来であるかどうかは証明するのが現在の技術では困難であろうということ。
そんな国内問題を抱えながら、リスクヘッジのために企業は海外生産対応に追われることになる。先週、サウジアラビアに出張したが、以前はトヨタ車ばかりであったが、今は、ヒュンダイ、キアが進出し韓国車が台頭してきているとのこと。確かにアルコバール市では、ヒュンダイの販売店やショールームを見かけた。海外で生産するトヨタ車よりも、韓国で生産されるMade in Koreaのものの方が装備も品質も良いのではないかと駐在員が言っていた。
半導体の生産は、1990年まではは日本がリードしていたが、投資戦略で韓国に負けてしまった。携帯電話もガラパゴスと言われ、世界市場をリードできない。
結局、どこの国も市民から見れば、手を延ばせば手に入りそうな価格のものが売れるのである。
子供3人が、出かけている週末。
家内と二人で、ALWAY'S 三丁目の夕日’64 を鑑に行く。
昭和の時代、東京オリンピック開催を目指して行く日本の姿があった。私は、小学校1年。
聖火が日本を回って、田舎の市を通る通らないの話があったことを思い出す。
バブルの時代、子供が大きくなる頃は、もうこんな時代はなく省エネや環境問題、少子化問題で今よりは低水準の生活環境になるであろうとの予感はあった。というより、1972年のローマクラブの「成長の限界」の報告で明らかになっていたことである。多少、採掘技術の発達や新しい資源の発見はあったものの基本的にはその時期が延びるだけで構図は同じである。
今後は、ジャックアタリの「21世紀の歴史」にあるような道を日本は辿るのであろうか。
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