奈良の菜の花畑を検索すると藤原宮の北側と甘樫丘がヒット。
甘樫丘は行ったことがないので今日はここへ出かけてみよう。
飛鳥川沿いの甘樫丘第一駐車場へ車を停める。駐車料金¥500。
豊浦休憩所を抜けると山桜が迎えてくれる。
山桜はもう咲いているのね
左手に歩いて甘樫茶屋の方から甘樫丘を目指す。
ソメイヨシノも少し開いている木があった。
階段を登って、万葉歌碑
「うねめの そでふきかへす あすかかぜ
みやこをとほみ いたづらにふく」 志貴皇子
志貴皇子は、天智天皇の第七皇子で49代光仁天皇の父であり、現在の皇室の祖先にあたるらしい。
藤原宮に都が移された後、飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)跡に立ち、心を寄せていた采女を思い詠んだ歌とのこと。
更に登って行くと
甘樫丘の展望所にたどり着く。
桜の花が開くと綺麗でしょうね。
畝傍山、その向こうに生駒の山並みが見える。
丘の東側に飛鳥京絵図が置いてある。
飛鳥浄御原宮は、飛鳥板蓋宮跡にあったと考えられているそうだ。
地図で見ると、この丘から東を向いて右斜め前辺り。飛鳥寺はちょうど真正面辺りかな。
で、東の景色を見ると… 確かに飛鳥寺があるわ。
尾根伝いに南西方向に歩いて川原展望台を目指す。
途中に白い花。スモモの花のようです。
川原展望台へ到着。こちらの丘には桜はないですね。
さてどうしましょう。川原の駐車場の方へ下りるか、それとも右手の万葉植物園路の方へ下りるか…
川原の方は大きな道路沿いに帰ることになるので、万葉植物園路の方へ下りて付近をのんびり散歩することにする。
ミツマタですね。この間、賀名生梅林でみたわ。
梅の木かしら…
近づいてみると、紅梅ですね。
木の下には、タンポポの花
ネコヤナギ
ツクシをとっている子供達
菜の花とアオサギ
稲わらを干しているのかしら
歩いていたら地元の人に八朔を貰っちゃった^^
レンゲも最近は珍しいなぁ。
里山をのんびりと散歩
菜の花畑
きれいなピンクの花だけどなんの花?
近寄って確認
早速調べてみるとシデコブシという花のようです。
緩やかな田舎道を下っていくと甘樫坐(あまかしにます)神社。
甘樫丘の絵図にあったような…
盟神探湯(くがたち)の説明
家内は、宝塚歌劇の「邪馬台国の風」でクガタチやってたぁ〜 本当にあったのね。と感激した様子。
盟神探湯(くがたち)は、古代の神明裁判のやり方で、煮え湯の入った釜に手を入れて「正しきものには火傷なし。偽りしものは火傷あり」という荒い裁判の方法だったようだ。
う〜む 湯を加減しないとむりだわなぁ…。
この神社では毎年4月に、境内の立石の前に釜を据えて、その形を保存しているとのこと。
で、振り向くと…
この石の前でやってるのね。
右手に少し歩くと…
大阪尼講中? 奈良善光講? 不明…
水神様かしら
先程の池、難波池の由来
現在、長野の善光寺の秘仏として祀られている日本最古の仏像(百済の仏像を鋳写したもの)は、先程通った甘樫坐神社の向かいにある向原寺に蘇我氏が飾って仏教を布教しようとしたが、それに気づいた物部氏が仏像を盗み出して難波池に捨てたという言い伝えがある。その池がこの難波池ということだそうである。
その後この仏像を、本田善光という人が探し出して信濃の国へ運んで祀ったのが善光寺の始まりということだそうだ。
最近の研究では、善光寺の建築様式は飛鳥の様式と似ているとの報告もあるらしい。
ここは、神道派の物部氏と仏教を布教しようとした蘇我氏の争いの場だったわけですね。
この一光三尊像の信仰に絡んだ争いから、蘇我一族の流れをくむ聖徳太子が物部氏を滅ぼすことになるんだとか…。
要するに、日本の仏教の始まりの地であり、日本版宗教戦争発端の地だったのね。
先に進んで民家の庭先で
アカシア
ミモザとも呼ばれる。
すすぎの瀧
後ろを覗いてみると水は切れているが、石造りの小川がある。
難波池で拾い上げた仏像を清めたらしいです。
駐車場まで戻ってくる。
道路の向かい側は飛鳥川。カワセミでもいないかと道路を渡って川沿いまで来たら、左手からヒューンとカワセミが…^^
枝に止まったので証拠写真を。
背景にゴミがあるのが、カワセミらしかなぁ。ヤマセミは上流側の清流にしかいないけど、カワセミは案外街なかにいて、可愛く綺麗でくちばしの大きいアンバランスな鳥だったりします。
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